クラブ「整体」 ♯1 / 原禎子

高校2年のとき、バブルがはじけた。

バブルが届かなかった田舎なのに、あおりは喰らっている。姉の就活はかなり厳しそうだ。


同級生達が大学進学に向けて本腰を入れ始めているにもかかわらかかわらず、私には何もピンとくるものは無く、とりあえず好きだった絵を描くことや、モノを作ることが将来に繋がりはしないかと、画塾に通ってみた。結局、そこでも周りの子はとっくに進路を定め、すでにある程度の画力を身につけている。

更には、先輩の一人が、呼吸をするように絵を描いていて「これは遠く及ぶ世界ではないなぁ」と、通い始めから軽い挫折を味わった。


東洋哲学に惹かれるもデザインの道へ。 

そんな中、倫理哲学の授業で東洋哲学を説明した箇所に妙に惹かれた。「中庸」。

素晴らしい。平和だ!! 受験に向けて殺伐としている学校の空気の中でそんな感想を持った。


わたしは、父が40歳の時に生まれた子。そして、ウチは早死に家系であり、早く身引きが出来るようにならないといけない。そんな焦りもあった。

「学ぶ事に関しての金は心配するな。なんとかするから」

そう両親は言ってくれたけど、進路として浮かんだ工芸系、哲学系……、食えそうにないなぁ。こんな勉強嫌いの努力嫌いが、今行ける大学行っても、浪人してまあそこそこの大学に行ったとしても、お金のムダだ。そう思っていた矢先に、地元に職業訓練校が出来て、しかもデザイン科があるという。学費も激安だった。コンプレックスにごもっともな言い訳をつけるにはうってつけの進路。迷わず進学することにした。


社会に出てからの挫折と新しい出合い。

学生生活はあっという間に終わり、20歳で就職。

肩書きはプランナー。

社会人としての経験もないから、始めから効率的な仕事が出来る訳でも無い。にもかかわらず、一人前になろうと言う気持ちが先走り、なんでも引き受け、会社に寝泊まりする日も多かった。当然あっという間に息切れを起こし、この仕事を一生続けるのは体力的にも精神的にも厳しい。 大手を振って逃げるために結婚するような相手もいない24歳。

そんな時、ひょんなきっかけで鍼灸マッサージという業種がある事を知り、高校時代から東洋哲学に興味があったわたしは、退職を決意。大して難しく考えず25歳で専門学校に入学したのだった。

「東洋哲学では無理でも、東洋医学だったら飯が食えるのではなかろうか?」

今思うと本当に浅はかな考えである。

でも当時、クライアントや上司、エンドユーザーの間でもがき、すっかり疲れ果てていたわたしは、 「隣の人が幸せになるような仕事がしたい」と本気で思った。

ただ、母親がひとことだけ反対した。「命を預かる仕事の責任に耐えられるのか?」

鼻くそほじるくらいの感覚で「大丈夫っしょ」と答えた、当事の自分の鼻の穴に、指つっこんで吊るし上げたくなるのに、そんな時間はかからなかったなぁ。


入学してからしばらくは良かった。新しい知識が増える事が楽しかった。しかし、そんな考えはすぐに吹っ飛んだ。「この程度の知識で、人の身体を扱えるのか?」

そこで初めて人の身体、人の人生に関わる責任の重大さに気づいた。

勉強してもしても、人間と人体の本質はわからない。教科書の中に生きた人間はいないのだ。 哲学は生き物じゃないーー。

解剖された身体を触っても、生身の働きを想像するのは難しく、いったいわたしは何を勉強すればいいのだろう。


ここでもダメか……?金食うだけで、モノになる気がしない。 

手を磨かなきゃ。とにかくやりまくらなきゃ。

クラスで一番具合が悪いと自認する同級生と組み、授業外でも実技練習を重ねた。けれど、相手の体調は一向に良くならない。その時は気持ちいいし、少しは楽になったようだが、治るというには程遠い。

自分でいろいろな治療院に施術を受けにも行った。いつのまにかガチガチに固まっていた自分自身の身体も、大して楽になることはなかった。


「治せる人にならないと」「そんなにすぐなれるわけないじゃない。何思い上がってんの?」頭の中で自分との喧嘩が続き、ついには、人を癒す仕事を志している自分自身が病んでいく始末。

このままでは出口は見えない。 

その頃、ギリギリの私を支えていたものに、フラッと立ち寄った古本屋で偶然出会った一冊の本がある。

野口晴哉著『整体入門』。

初めて読んだ時、おこがましいが、この本はわたしの代弁者だ。そう思えた。 


治さなきゃ。まずは自分で自分を治さなきゃ。

そう思った。

病む事も、治る事も、必然。 

専門学校に通った3年間は、色んなことをごまかして来たわたしが、ごまかせなくなってもがいた3年間。世の中をわかったつもりでいい気になっていた幼い自分自身から逃げられなくなった時間。コンプレックスと思い上がりの両岸を反復横とびしながら、体感していく時間だった。 


今ではないいつかや、ここではないどこかか、自分ではない誰かに、漫然と期待してもどうにもならない。治すのは自分。そして、治るのに特別な力はいらない。

これは、闇をくぐり抜けて到達したわたしなりの身体と病に対する考え方だ。 

ちなみに今現在、とても幸せで元気だ。35.4℃前後まで下がっていた平熱は、36.5℃になった。


地元高知で「鍼灸マッサージ 恬愉」を開業して、もうすぐ15年が経つ。

この仕事を始めてからずっと、患者さんひとりひとりがわたしの鏡となって、ハードルを置いてくれている。この仕事に就かなければ、わたしは、自分をごまかしたままのとんでもない、ろくでもない人間になったのではないかと、時々ふと思う。そして、わたしの仕事は、わたし自身がまっとうな人間になるため、無意識に手繰り寄せた仕事なのだなぁ。そう思うことが多い。

今でも、怠け者で特別な努力が嫌い。けれど、だからこそ生きるだけで、生きることを全うできるように、機嫌よく働き、お腹が空いたら食べ、何も考えず眠る。そしていつか眠るように死ぬ。それが理想。


死ぬまで機嫌よく生きる手伝いを。 

この連載では、特別な健康法を提案するのではなく、自分を楽しく機嫌よく生きる、ちょっとしたヒントを東洋医学、整体的な見方から提供できたらと思っています。


連載のタイトルは、クラブ「整体」。

なぜだかわからないけれど、昔から、友人・知人とお酒を飲みに行くと、みんなに「ママ」と呼ばれる機会が多いのです。トーン低めの声のせいか、風貌がそうさせるのか? そんなエピソードも手伝い、編集室の希望もあってこのタイトルに決まりました。 


堅苦しくならずに、でも、ちゃんと真剣に、あなたがあなた自身の「からだ」に目を向けるお手伝いができれば幸いです。


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