からだ読書 ♯2 / つるやももこ

海からの贈りもの 

アン・モロウ・リンドバーグ 著 /落合恵子 訳

立風書房(ISBN4-651-93013-1) 

最初に手に取った新潮文庫では、著者名はリンドバーグ夫人と記されていた。

その後、この落合恵子さんの新訳に出合い、アン・モロウ・リンドバーグという本名を知った。 


アンは、世界初大西洋横断飛行に成功した飛行家・チャールズ・リンドバーグの妻である。彼女自身も飛行家として知られた人。 


本棚から久しぶりに取り出して読み始めると、ふと、友人の顔が浮かんだ。 


その人は、今年60歳を迎えてなお少女のようにコロコロと笑い、とってもお茶目な女性だ。彼女とはフラの教室で出会った。 

フラでは、20代から60代まで同じ衣装を着て同じ舞台に立つ機会も多い。 

同じ時間と場を共有する仲間はフラシスター。 

大切なシスターの1人である彼女が、こんなことを言っていたのを思い出したのだ。 


「20代の初めに結婚して、すぐに子供ができて、それからずっと長い間〇〇ちゃんのお母さんと言われて過ごしてきたの。子供が成人して、フラを始めて、やっとそこで本当の名前で周囲に呼んでもらえたとき、うれしかった。ちえこさん、て」 


わたしは結婚をしていないし、子供もいない。会社にも属していない。 

生まれたままの名前で当たり前に意識することもなくなんとなく生きてきたから、新鮮な驚きがあった。 

人は年齢や置かれた環境でさまざまに立場を変えるから、かつての恋人同士が、パパとママになったり、会社で出世すれば部長や社長と呼ばれるようになる。 

立場は役割、時に役割は個人の名前を無くしてしまうものなのだなぁ、と。 



海からの〜は、著者であるアンが、社会的な立場を傍らに置き、いっとき、妻・母という役割からも離れ、海辺の家でひとり休暇を過ごしながら、1人の女性として、女性の生き方、人生の思索を綴っている。


タイトルには「海からの〜」とあるが、ここには海の描写はほとんど出てこない。 

代わりに海を伝えるのは、貝殻だ。 


かつてヤドカリの住まいだった空っぽの”にし貝”に、日常の殻から抜け出した自らを写す。 

シンプルな螺旋に無駄のない美しさと調和を見る。 

それを雑多な日常と重ね合わせ、いかに多くのものではなく、どれだけ少ないもので暮らすか。海辺で暮らす間に、人間関係も家具も様々なこともいっさいがっさい、本当に大切な、必要最小限だけを見極めようと心に誓う。


あるいは、日の出貝。 

ピタリと重なり合う二枚貝に、出会った頃の恋人との純粋な関係を重ねる。 

そうして夫婦となってなお、2人でいることになんの違和感も感じなかった頃を経て、その感覚は日常の雑多な時間とともに、少しずつ薄らぎ変容してゆく。 

でもアンは嘆かない。 

そもそも恒久などこの世には1つもなく、あるのは、たったひとつの一瞬だけ。 

子供との関係も同じこと。生まれたばかりの乳飲み子と片時も離れずに過ごす時間はいつかは終わる。 

この時のこの空間の今という一瞬。日の出貝は、うつろいゆくすべての美しいものの象徴、そこに永遠の輝きを見ようとする。 


うつろいゆく一瞬。 

すべての美しいものの象徴。 

最近のわたしにとってそれは、夏の終わりの日没だ。 


その日、わたしは千葉の海の上にいて、始めたばかりのサーフィンに夢中になっていた。 

もう日暮れ間近。海の色は青から藍へと変わろうとしていて、これで最後としつこく沖へと漕ぎ出すと、海面と同じ高さの視線のはるか先、水平線に太陽が沈みきる瞬間がわかった。 


あっ。


パチンと音を立てて夜が来た。しばらく黙って浮かんでいた。 

聞こえるのはチャプンチャプンとボードが波にぶつかる音だけ。 



ー海は、もの欲しげな相手や貪欲なもの、焦っているものには何も与えてはくれない。 


ー海は柔軟性こそすべてであることを教えてくれる。柔軟性と、そして率直さ。 


アンが書いている通りだ。


わたしは、Uターンして砂浜に帰った。海からの贈りものを感じながら。 


後日、この本が書かれた海辺の別荘が、ハワイのマウイ島にあったということを知った。 

しかもマウイ島のハナという町は、”天国のハナ”とも呼ばれていて、天に一番近い場所と言われている僻地。アンが贈り物を受け取った場所へ、いつか行ってみたいな、と思う。





Hōʻailona

こころとからだを旅するWEBマガジン。

0コメント

  • 1000 / 1000