満てる ♯2 / 編集部



 

私がその言葉を聞き、意識したのは、19の頃だった。 


高校3年の終わり、卒業を間近に控えた3月に、祖母が82歳の生涯を終えた時にも聞かなかった言葉だった。正確には、聞いたのかも知れないが、記憶に無い。 


「安兵衛が死んだと。」 

「まあ、あらぁ(あいつは)満てたねえ。」 

「満てた、満てた。」


周りの大人のそんなやりとりだった。



安兵衛さんは、叔父さんの同級生。若かりし頃はさぞかしやんちゃくれだったろうみてくれで、呑んだくれだった。糖尿病を患ってからも、呑むことをやめることなく、亡くなる前には肝臓も壊していたらしい。 

入院先の病院の階段から、酔ってか酔わずか転落し、その後に亡くなったそうだ。60にもなってなかった。 


「満てた」


まだ若いとも言える安兵衛さんの死に際して、その言葉を聞いた時の静かな感動は、今も私の中に変わらずにある。 


安兵衛さんには、小さな頃から可愛がってもらった。だからといってしょっちゅう会う間柄でもない。 

叔父さんを慕って、叔父さんの帰省に合わせてウチに顔を出すおじちゃん。 

角刈りに口ヒゲ。一見すると強面だが、小さな私を脅かさないように、遠慮しながら、でも漏れ出る笑顔で、私に近づいて来ていた。私もまた、約束のように、怖がったのちに、膝の上でくつろいだ。


小学校も高学年にあがると、安兵衛さんはよそよそしくなった。ウチに来ても、チラッとこちらを一瞥し、目でささやかな挨拶をするくらい。子供は好きでも、少女となると扱いを違わねばならぬ。そんな彼なりのルールのように勝手に解釈していた。 



私が高校に上がった頃。彼は私にCHANELの口紅をくれた。 


綺麗なベージュピンク。 


パチンコの景品。 


イケイケ女子高生だった訳でも無く、香料が苦手な私が、その口紅を使うことはほとんど無かったが、随分大人の男性から、暗に年頃になったと認められたような気がして、ちょっと嬉しくて、常に化粧ポーチに入れていた。 


紅を差すのが、不自然でもなくなった19歳のころ。おもむろにポーチから取り出し、今の私に似合うかどうか試してみようと取り出した口紅が、折れていた。 

そして、程なく、安兵衛さんが亡くなった事を聞いた。 


呑んだくれて、糖尿病で、肝臓壊して、病院で転んで、死んだ。 


この一文だけを読んで、いい生き方をした人間だったと思う人は稀だろう。 


破天荒というほど目立つ訳でもなく、さりとて実直には程遠い。不器用で、昭和の塊のようなその男性の生き方を「満てた」という言葉でしめくくられたのを聞いた時、私には、いつどこに居ても、少し居心地の悪げな安兵衛さんの一生が、ちょっと救われたように思えたのだ。 


実際のところはわからない。ご家族や、親しい人の胸のうちは、苦しかったのかも知れない。 

本人は無念だったかもしれない。 


それでも、彼なりの一生を彼らしく終えた。いい、悪いではなく「満てた」。そう評する表現があることが、美しいと思った。 



かつて高知は、その地理的な特徴から、陸路、海路とも、他府県との交流が難しく、文化や言語は取り残され気味だったようだ。いわゆる土佐弁は、古語の言い回しを色濃く残している。 

「満てる」もその一つだろう。 

凄まじい速度で通信が発達し、言語交流が広くなった現代では、かつてのような濃厚な土佐弁を聞くことは少ない。「満てる」が通じるのは、私たちミドルエイジでも半数くらいのものではないだろうか。 

かと思えば、この連載のように、この言葉が、土地の隔たり無く見直される機会も生まれている。 


人は、必ずいつか死ぬ。例外はない。生まれた時から、1分1秒、死へ向かっていく。命が無限な らば、生きることを大切にも出来ないだろう。

けれど、勢いや、余裕のある時は、人は死を忘れて生きる。何かにぶつかった時に、やおらその限りを感じ、梶を取り直す。進む時間の中で、限りを忘れたり、突きつけられたりしながら、生きていく。 


「満てる」は、だらしない生き方や、投げやりな生き方、人任せな生き方を美化するための言葉ではない。けれど、誰だって、100%正しい生き方なんてわからない。そんなものもない。 

そんな生きる時間の狭間に、その人が全身全霊をかけた瞬間があれば、そこに立ち会った人は、やはりその生を讃えたくなるだろう。 


当然、生きることに丁寧に向き合い続けて、天寿を全うした人にも。 


私は、その賛美として、敬意として「満てた」と送りたい。 


そして、地理も時間も超えて「満てる」という表現に共感し、人生を満了に向けて、居住まいを正す方が少なからずいることに、私はまた静かに感動する。




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