からだ読書 ♯3 / つるやももこ

旅をする木

星野道夫 著

文藝春秋(ISBN4-16-350520-2)

先日、久しぶりにはっきりとストーリーのある夢をみた。


夢の中でわたしは、誰かとiphoneを操作しながら自分の写真データをスクロールしている。

そして画面を見ながらなんとなく後悔している。


しばらくして場面が変わると、1週間前のとある場所にタイムスリップしていた。

どうやらここへは自分の意思で戻って来たようで、

何かのイベントをやっている屋外で、わたしはある人を探していた。


しばらく歩き回り、たくさんの人の中にようやくお目当の人を見つけて、声をかける。

そして、バタバタとしている中で、その場にいた友人に自分のiphoneを渡し、その人と2ショットを撮ってもらった。


再び場面が変わって。

わたしはiphoneをwifiに繋げて、cloudから写真がダウンロードされるのを待っている。

1週間前にタイムスリップして撮ってきた写真が、無事にアップされているか確認をして、ホッとしているところで目が覚めた。



しばらく天井を眺めながら、なんとも切ない気持ちになってしまった。


なぜなら、一緒にファインダーに収まったその人はもう、この世にいない。

夢の中では1週間前には生きていたが、現実にはだいぶ前に亡くなっていたから。


亡くなる前に最後に2人で記念撮影をしたかった。


わたしが密かに抱いていた願望を夢の中の自分が叶えてくれたのだった。


シャッターを押してもらうその瞬間、いつもよりも丁寧に笑顔を作ろうとしている自分がいじらしく思えた。



今この瞬間、自分が立っている空間とは別に、もう1つの世界が並行している。そんな、今の世界と分岐して存在する別時空の世界=パラレルワールドを想像したり、時空を超えて旅をするタイムスリップについて考えるのが昔から好きだった。

そして、アラスカの大自然の中に暮らした写真家・星野道夫さんの文章を読むたびに、わたしは、そのパラレルワールドの存在を思い出す。


壮大で雄大でドラマティックでそして繊細なアラスカの自然。

星野さんの深く優しいまなざしで綴られる未知の土地は、わたしにとって遠く存在する現実のパラレルワールドそのものだと感じるからだ。


『旅をする木』を初めて読んだときからもう随分と時間が経ったけれど、大好きで何度も読み返すページがある。


「もうひとつの時間」と題したその章の中で、星野道夫さんが若かりし日の自分を振り返る場面がある。


北海道の自然とそこに生息するヒグマの生態に興味を持った星野少年は、本を読み調べるうちに、日常の生活の中でヒグマのことを思う時間が増えていく。大都会で電車に乗っているとき、雑踏の中の人混みにもまれているとき、同じ瞬間、北の果ての大地では、ヒグマが悠々と歩き呼吸をしている。

「そのことがどうにも不思議でならなかった」と、星野さんは書いてる。


ーすべてのものには同じ時間が平等に流れている。


思えば、あなたにもわたしにも、わたしの隣であくびをする猫にも、遠くで暮らす大切な友達にも、もちろん未知の土地で生きる野生動物にも、時間は平等に流れている。


そして、たとえばコーヒーショップでこの原稿を書いているたった今だって、地球の裏側では新しい朝を迎えて、小鳥がいっせいにさえずりはじめているのだ。


時間がない、忙しい、そう思うたびに、ふと「待てよ」と思う。

ここではないどこか、広い世界を俯瞰するように、もうひとつの時間を意識すれば、自分のちっぽけさに気づくことができる。わたしが抱く焦燥など、自然の中に置き換えれば塵のようなものだ。


けっして饒舌ではない星野さんの文章。でも、だからこそ真摯にこころに響く。そして言葉は、ガチャガチャしたわたしの日常に、息継ぎの仕方を教えてくれる。




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