しあわせなからだ ♯5 / Noriko Genda

MSIについて

今日は、わたしのおこなっているボディーワークの中で、メインになっているMSIについてお話しさせてください。


初回のエッセイでも少しお話ししましたが、

MSIセラピーの根幹は、アイダ・ロルフ博士という方が考案しました。

そして、このロルフ博士が始めた「ストラクチャル・インテグレーション(構造的な統合法)」というテクニックについて、唯一の教本の発行を許されたエドワード・モーピン博士が、わたしの直接の先生となるひとです。


MSIとは、モーピン・メソッド・バイ・ストラクチャル・インテグレーションの略。

このメソッドは、表層筋からはじめ、深層筋そしてその統合という3セット合計12回で完成する筋膜という筋肉を覆う膜に働きかけていくセラピーです。

この「筋膜」という言葉、”筋膜リリース”などと言って、最近よく耳にしませんか?

では、話題になる筋膜ってそもそもどんなものなのでしょう?


筋膜は、脊椎動物であるわたしたちの筋肉や内臓などを包んでいる膜の総称です。

わかりやすいイメージを言うと、鳥肉のお肉と皮や、お肉と骨の間にある薄い白い膜。

あれが筋膜です。


人間のこの筋膜、じつは長い間の生活習慣によって生まれたからだの癖のために、弾力を失い、硬い筋繊維に変わってしまいやすい性質をもっています。

この硬くなってしまった筋繊維が、からだのいろいろな部位(筋膜)でつくられてしまうと、姿勢をよくしようと思っても戻せなくなってしまうというわけです。

その”からだの癖”。

ここにそのひとの”こころ”が大きく関係しているとMSIでは考えています。


メソッドでは、表層から深層までを12回に分けてほどいていくのですが、”抜ける”タイミングは施術を受けているその方それぞれです。

癖から解放されて、こころとからだの回路がつながった時、大きな潮流が確実にそのひとの中で動きはじめます。


例えば、セッションの最中での変化をいうと、その時にやっている部位以外のところの反応をご本人が感じたり(からだの中で繋がっているということを体感できます)、剥がされる間の痛さで起きているつもりなのに瞬時に意識が遠くなったり(ゆるむことで、急激に副交感神経に傾くのでは?)。


セッションの後の変化をいうと、まわりとの人との関係性の変化や、ライフスタイルの変化。

今までなら我慢していたことに対して、じぶんの意思を自然と伝えられるようになっていたり。などなど。


MSIは、セラピーのジャンルでいうと、サイコソマティック セラピーやBody Psychology(心理的ボディーワーク)という部類に入ります。

サイコソマティック とは、「心身の」という意味。

筋膜を解放する=からだに蓄積された、そのひとの感情が解放されるとも言えるのです。


つまり、私自身=プラクティショナーも、この意識を持ってクライアントと向き合う必要があるということです。

ここが、最近流行っている「筋膜リリース」との大きな違いだと思います。


何より、MSIのプラクティショナーは、構造的な解剖学だけでセッションをしているわけではありません。

わたしは、ボディーワーク・セッションでクライアントのからだと向き合うとき、つねにニュートラルで自分の意識を介入させないこと、そして「硬さ」に出会った時には、その奥にあるそのひとの感情のようなものを侵害しないようにつねに心がけています。

まるでカウンセリングの時の注意事項のようですが、あくまでもからだへのアプローチです。

なぜなら、からだに触れた時のプラクティショナーのこころもちで、結果がまったく変わるから。


MSIの、コア(12回の施術の内の核心部分)のセッションの時には、「お邪魔します」「招いてくれてありがとう」「Thank you」「Mahalo」などなど、わたしは、相手のからだに対していろいろな言い方で感謝の気持ちを伝え、こっそり話しかけています。



さて、MSIを目指してきてくださった方には、まず最初にお話しする事があります。


「治すのは、わたしではなくてご自分自身です」


そう、わたしのお役目は、コネクタ(connector)=繋ぎ役 みたいなものだと思っています。

一般的なマッサージや整体のように、施術者(治す)とクライアント(治してもらう)という関係性はありません。


治すのも、治るのも自分。


だから、受けていただく時間を、わたしたちプラクティショナーはセッションと呼びます。

例えば、音楽でいうセッションとは、個々の自発的なイメージの連動でできているものですよね。なので、MSIのセッションの間は、クライアントにも動いていただきます。


動きと連動させる=“剥がす” ことによって、より効果的にリリースができるからです。

わたしがたどり着いたからだへのメッセージは、MSIが目指していることと重なっています。

からだの癖はこころの癖。また反対もしかり。


少し飛躍しますが、

病名とは厄介なものだな……と思っています。

「病名」をつけられた途端に、「病人」になってしまいます。

するとひとは、「その病気があるから仕方ない」。と自分を納得させてしまうんです。

つまりは、そもそもなぜその「病気」になったのかの理由に目を向けることを忘れてしまう、もしくはそこがいちばん後回しにされてしまいがちです。

セッションの前半、クライアントからよく、「リリースしても、時間が経てばまた戻りますよね?」とよく質問されます。

厳しい言い方をすれば、これも「治す側と治してもらう側」という関係性のクセから出る言葉だと思います。


もっと自分のからだを信じてほしい。

たとえ日常に長時間のデスクワークがあっても、肉体労働があっても、からだが ”心地よい軸になるポジション” を知っていたら、そこに落ち着こうと脳に訴えます。


ー(わたしの)からだはなんでも知っている ー


ほんとうですよ!


Hōʻailona

こころとからだを旅するWEBマガジン。

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