サンダルウッドの丘の家より ♯11 / 山崎美弥子

第五章・二  大地とつながる/アオとポー


 わたしたちの朝を極上にしてくれる、至福の香りを運ぶのは島の風。気まぐれな、それなのに、まるでアイランド・プリンセスのような気品に満ちている。 オーバーグルウ(茂り過ぎ)のハイビスカスやジンジャーでかたちどられた、城の入り口のようなアーチをくぐり抜けるのも島の風。女神ヒナが、ヴァヴァホヌアと名づけられた彼女の大切なイプの中から吹かせる風。それはあたかも、生きる道に迷った旅人の、そのこころを占領する悲しみや苦しみを、激しく吹いて一掃するかのように。洗い流し、清めるように。その魂をもう一度、生まれ変わらせてくれるように。ヒナの風、時には優しく。密かなる音たちで飾られた、そんなスペシャルな島の朝。小鳥たちのひそひそ話の声。波がその力を、空中に解き放つ時に響くざわめき。ベッドルームのドアが、窓から忍び込んできた風に引っ張られ、きぃきぃと奏でる歌…。

「 …こどもはかみさまよ。」

話しかけると、眠りから覚めたばかりのこどもたちが、とたんに神様のようになります。

「あいしています。だいすきよ。」

と、彼女たちに声をかけると、

「あいしています。すきよ。」

と、くりかえします。

まだちょっと眠たいふたりの娘たちの手をひいて、一段一段降りる、サンダルウッドの丘の家の青い階段。手すりの上や柵の隙間から、わたしたちの裸足のくるぶしにさわる、紫色のスイートピーの蔓。名も知れぬ、太陽色の花をつけた草の茎と葉。 そんな時、彼女たちの髪を触ってゆくのも島の風。


 春先の頃でした。島に女の子が訪れました。そしてわたしたちのサンダルウッドの丘の家で、二月(ふたつき)一緒に暮らすことになりました。彼女は海の向こうからひとつの石を持って来ました。この女の子は、彼女の生まれた国(わたしの生まれた国)の神々からの伝言に導かれ、この島へと遥々やって来たのです。彼女の名はウカといいました。

「…この石をあの島へ。」

遠い昔、わたしたちの祖国で祈りに使われていたというその石。彼女は、やっとの思いで国中からたったひとり、その石を今も彫っているという人を探しあて、譲り受けてやって来たのです。そんなちょうど同じ時に、もうひとり、ロミという名の女の子も島へやって来ました。彼女は、わたしたちの家の近くの海沿いに、宿をとりました。そして、ある晩わたしたちは、ロミを我が家のディナーに招待したのです。波の風景が遠くに横たわるサンダルウッドの丘の家のラナイ(ベランダ)で、みなそろって、ピクニック・テーブルの上の幸せなご馳走をかこみます。夕日が水平線の向こうに落っこちてしまったそのあとは、島の風は、その見えない姿を潜め、あたりは清まり、混じり気のない泥に沈むように静かになります。すると、まだうら若い夜の香りが、ほのかにたちのぼります。ロミにとってはこれが二度目のこの島への訪問。ふたりの女の子たち、ウカとロミがこの生で出会ったのは、その夜がはじめてでした。 スパークリングサイダーで乾杯、…散りばめられた星の下。

「石を持って来たの。」

そう言って、海沿いの宿に荷物を置いて、身ひとつでわたしたちの家を訪ねて来たロミも、首からぶらさげた、麻で編まれたストリングスを引っぱって、白いシャツの内側から大切そうにひとつの石をとりだしました。そうです。ウカとロミ、ふたりの石はまったく同じ石でした。少しの大きさ違いの、国中でたったひとりしかないという、同じ人が彫ったもの。ロミも、ウカと同じように、日本の国の神々からの同じ伝言に導かれてこの島にやって来たのです。わたしたちはみな、テーブルの上のサイダーのグラスの横に並べられた、まるで双子のような石たちに目を見張り、そろって息を飲みました。

「この島とあなたの祖国をつなげてください。」

…昨日まで見知らぬ者同士だった女の子二人が、同時に受け取ったこの伝言の謎を解き明かそうと…。


 つなげてください。…わたしたちは何処へ、繋がってゆこうとしているのでしょう。つながる。何処へ?何と?…きっと、それは大地。人が生きて、大地とつながるということ。それはいのちと繋がるということ。足の裏からしっかりと、迷いなどない植物のように根を生やし、「地に足をつける」こと。この星の上を裸足で歩くこと。草を、砂を、苔を、岩を、土を感じる。つながる。…きっと、それは自分。自分と繋がるということ。ナアウ(己の腹の内)にその耳を傾けて。わたしたちのからだは、ホヌア(地球)と一心同体なのだから。…そしてきっと、すべての「みなもと」と繋がること。なにごとにも縛られない、縛るものなど無い、アクア(神)の世界。こころがひらかれた時、わたしたちの中にやわらかなるものが生まれる。流れる水のようにすべやかに、泉のように尽きること無く、こんこんと湧き出す、きらめく絹の糸の束のように。そうしてそれは、あたたかい涙のように、やさしい。

わたしたちの瞳に映しだされる、真っ黒な夜の海と空の風景が、墨が和紙に染み込む時のようにじんわりと滲んでいきます。今、時空を越えて「すべて」であった記憶を蘇らせてみる。きっと、その記憶に繋がるということ。きっと、この島のプウヴァイ(心)に繋がるということ。つなげてください。いいえ、今更繋がることなどできない。なぜなら「ひとつ」という、神が創った芸術には、いつだって「ひとつ」のみが存在しているのだから。もう、つながっているから。そう、初めから。

 

 かつて島に訪れた、ある別の女の子たちは、夢を見たと言いました。夢に見た幻の風景を探しに、この島までやって来たというのです。そしてある人たちの心のスクリーンには、くっきりと、この島の名が浮かんだといいます。この島が地球儀のどこのカーブに位置するのかさえも、まるで知らなかったというのに。そしてまたある旅人たちは、この島を通り過ぎてゆきました。アザーハーフ(魂のもう半分)を探し出すその旅路の途中で。ビターネス(苦み)も含まれているのが幸福の条件。上等なオーガニック・カカオのチョコレート同様に。そして「ソウルメイト」とは、夢見心地にさせてくれる、この世界でたったひとりのかけがえの無いスウィート・ハート。それでいて彼は(彼女は)、不思議な魔法の鏡でもあるのです。絶対に見たく無かった一番醜い自分を映し出す曇の無い鏡。 お互いを補い合うように、相反するものを抱いて巡り会う。この島には、アオ(ひかり)と、ポー(かげ)が、同時に存在しています。そしてそのすべてのパーツが、ひとつとて欠けることなどできない眩いエレメント。そう、あの風を吹かせる、慈愛に満ちた母である、女神ヒナが生み落とした。この島はまぎれもなく、ありのままでウイ(美しい)。それは、わたしたちひとりひとり。わたしたちそのもの。 


 その謎解きには終わりも無く、月の見えない晩に消え去ったはずの、女神ヒナの風からのことづて。夜色の中から忽然と音も無く、星たちよりも明るい光を放ち、わたしたちの頬にやさしく触れてから、「然らば。」と声無き声で告げました。旅人たちの悲しみと苦しみとに。…いいえ、そんな風に感じたのはきっとイリュージョン。わたしたちの思い過ごしなのかもしれません。闇の中で、まばゆい日の出のように七色に瞬きながら吹きぬける、聖なるあの、愛しい女神の風の面影さえも。そんなわたしたちのミステリアスな夜は、ゆったりと、見えない島の風に、吹かれて消されていきました。それは、微かな残り香を置いて。



★この連載は、毎月新月と満月の日に更新します。


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