サンダルウッドの丘の家より ♯12 / 山崎美弥子

第五章・三  大地とつながる/アオとポー


ウクレレに乗せた、メレ(歌)が流れて来ます。微かに聞こえる。走るクルマの開け放たれた窓から、わたしの耳を擦り去ってゆく。視界の際に過ぎて溶ける、ブーゲンビリアの掠れたパープリッシュな影と一緒に。まるで、幻の中の映写機で映し出された、八ミリフィルム映画のプロローグのように。その映画のタイトルは、「フラ・アウアナ」。 


フラ・アウアナ。フラは何故、こんなにも満たすことができるのでしょう。 空っぽになってしまった、寂しく傷ついたひとのこころまでも。


「わたしの知っていることはみんなあなたたちに教えるわ。わたしには隠すものなど何も無いのだから。」


アンティ・レイラニ。自分をクムフラ(フラの師匠)では無いと断言するひと。幼い頃からこのモロカイ島であたりまえのように、ただ、踊り続けて来たひと。数えきれないほどのたくさんの子どもたちと、かつての少女たちに、実に、教えて来たひと。


「フラとは何かと聞かれても、わたしはこたえることはできないでしょう。でもわたしは、フラが何であるのか知っている。たとえ、言葉でこたえられなくても。 そうしてわたしは踊ってみせるわ。あなたはきっとわかるはず。それがアロハであることを。」


フラには、カヒコ(古典)とアウアナ(モダン)とが存在し、カヒコが古代からの教えや神話などを伝承するため、同時に神々へと捧げる舞であるということが主であるのに対し、アウアナにおいては、感情を、思いを、伝えるということが大切とされてきました。今は亡き、クムフラ・アナケ・ハリアット・ネからウニキ(卒業)したのは、ハラヴァ渓谷のアナカラ・ピリポ・ソラトリオと、アンティ・モアナと、もうひとりだけ。アンティ・レイラニは、ウニキを経て自らもクムフラとなったアンティ・モアナのオハナ(家族/一族)であり、アンティ・レイラニの、この世にはもういない父親は、フラ・オラパ(フラダンサー)をこころざす島中の少女たちの守り神のような存在であるアンティ・モアナの実兄でした。


アンティ・レイラニ。…何でもない、そう、だいそれた何の称号も持たないこのひとの踊り以上に、こんなに深い…深い浸透性を持つフラがあるでしょうか。身体から、すうっと力がぬけていて、どんなタイミングよりもパーフェクトなスローウ・モーション。それでいて決して遅れることは無い。踊り手の指先から、手のひらから、胸から、ひろげた両腕から、それはきめ細やかな魔法の粉がキラキラとふりまかれ、その星屑のような息吹は、ミルキーウェイの流れのように、わたしたちをとりまく時空無き領域へとそそぎこまれる。そう、そのフラはコンテイジャス。アロハの伝染。一度感染してしまえば、あなたは頭のてっぺんから足のつまさきまで「しあわせ」に満たされるのです。あなたの頬は高揚し、手のひらには不思議な熱が生まれ、体の中心があたたかくなり、ここちよく脱力する…。そして時に、涙さえ溢れてしまう、シンドローム。


ある時、彼女の偉大なるクムフラ、アンティ・モアナに問うた旅人がいました。旅人は、クムフラに一目会うためだけに、遠い旅路を越えて来た者でした。


「フラにとって一番大切なことは何ですか?」


旅人は、どんなに重々しい言葉が返ってくるのかと真剣な面持ちで、クムフラのその瞳を、そらすことなく見つめます。その言葉を受け取るためにこの旅人は、海を越え、島までやって来たのです。


「それは、笑顔よ。」


嵐にさえ動じない山のように、ゆったりと其処へこしかけたままのクムフラは、そう、こたえました。 迷いも無く。 旅人はそのこたえに拍子が抜けたよう。アイハア(膝を曲げて腰を落とす体制)に代表される姿勢の取り方や、カオナ(隠された意味)を含めた、言語や歴史の学習、あるいは伝統的な教えに対する忠誠心や、継続や献身の精神など、きっと、そんな厳格な教訓の言葉が並べられると予想していたのかもしれません。

笑顔。…笑顔とは一体何でしょう…?そうです。その笑顔とは…。「スマイルの型」に顔をくいとどめることとは違うのです。



彼女の実の叔母であるクムフラ・アンティ・モアナからフラを学んだアンティ・レイラニが、ある時、わたしたちに語ったことがありました。

「踊っている時、わたしはいつも笑顔なの。何故かって、わたしは自分がしていることを愛しているから。しあわせだから。踊っている時だけじゃない。フラ・レッスンの終わったあとだって、何をしていたって、わたしはいつでも自分を愛しているから。だからいつも笑顔なの。そう、一日中。笑顔とは、こころの内側から沸きあがってくるもの。それがマイ・ライフ。…だから、あなたもあなたの笑顔を見せて…!」

またある時は、クラ・カイアプニ(ハワイ語の言語環境で全教科を学ぶ学校)のこどもたちにかこまれて、しずかに語りました。


「わたしは七十五パーセントのハワイアンの血筋を持ち、この島のごく普通の家庭で、たくさんの兄弟とともに育ったの。本当にしあわせでした。父さんからも母さんからも、ありったけの愛をもらって育てられたわ。そして、わたしは今もしあわせです。だからこの幸福を伝えたいの。こども三人を生み育て、こどもたちにこの幸福を伝えたわ。そして、さらに三人のこどもをハナイ(養子)として迎え、幸福を伝えながら育てあげました。わたしは、ほんとうにしあわせです。」


 言語を含めたハワイ伝統文化を禁止された時代の真っ只中で生きた、アンティ・レイラニの父母の世代。でも、次世代に伝えたのはその悲劇や憤りでは無く、それでも壊されず、消し去られず、決して奪い取らせなかった「しあわせを感じる。しあわせを感じさせる。感じあう。」という、古代よりの大切な叡智であり、力。だからこそ….彼女は、人生を自分自身の思いによって笑顔で満杯にしてる。とびきりの笑顔で。そんな彼女の笑顔にはきっと、先人たちの祈りが込められている。その彼女の笑顔が、フラを舞う時よりも、よりいっそう輝く時がある….。彼女にとって、一番幸福であるはずのフラを踊っている時よりもずっと。そう、それよりも千倍もまぶしい、まるで光そのものになった笑顔を彼女が見せるのは、彼女の不器用な教え子たちが、懸命に踊っている姿を見つめる時。いとおしむように、その瞳で、抱きとめるように見守るとき。



「想像して。両手のひらで、かぐわしいプア(花)にふれた時のことを。その香りを胸いっぱいにすいこんでいることを想像するの。その香りが、あたかも現実であるかのように。白い花のレイを、自分のその首に実際にかける時の、そのやさしい、しあわせに満ちた感覚をこころにありありと思い描いて。その香りを感じて。そしてフラを見ているひとたちに、その香りをわけて、かがせてあげるつもりになる。太陽の色をしたプア・ケニケニの花の香り。自分がそのものになって、そう、思い描いて感じてみる。あぁ、なんていい香り。この感覚をどう伝えればいいのかわからないけれど…。フィーリングは内側から沸き上がってくるもの。もうそこまで来ているわ。そう。そんなふうにフラを踊った時に、それを見る人は、驚きとともにこんなふうに言うことでしょう。プア・ケニケニの香りが本当に漂って来たわ!あなたの踊るフラを見ている時に…!」


彼女の全身に染みこんだ、フラ・アウアナのその奥行きの深さを、どうにかして、わたしたちに伝えようとしてくれるひと。


こころに絵描く。それがスターティング・ポイント。そこからすべてが生まれる。しあわせが生まれる。彼女が見つめるあの島。島のメレ(歌)。一輪の香しきアイヴォリー色のプア(花)。…こどもたちが砂浜を走る、あの輝くレモン色の午後の時間。そのひとの髪を、しなやかになびかせる、おだやかな風。プウ(丘)にかかる虹の七色は透き通っている。わたしたちが、その風景そのものになれるミラクル。未来は記憶の中に。今、わたしたちが生きる現実は、わたしたちの記憶が作り出している。わたしたちが絵描く思い、しあわせは、そのマナによって誕生している、そう、すべてのすべてが。


彼女のフラ・レッスンのある朝は、伝説のラヴァイア(漁師)と同じ名である「パウオレ」と名付けられたカウナカカイの町のホールで、このひとの、一歩一歩にこころあわせるよう、踊る。こどもたちもいっしょに。かろやかなるライトグリーンの島の風。島の小さき精霊が宿る、色とりどりに乾いて地に落ちた、木の葉たちを空中に跳ねるように舞いあがらせる。わたしたちの、まっ赤に染まったパウ(スカート)を、それは気まぐれにダウン・ウインドへと波打たせます。ここちよいメロディは、踊り手の素肌を、まつげを、ゆったりとゆったりと、やさしくなでながら、いっしょに流れてゆくのです。マウカ(山側)へ、マカイ(海側)へ。島の輪郭の彼方まで、その「しあわせ」をともに届けて。波の向こうの遠い島まで。


幻シアターの上映映画、「フラ・アウアナ」。今や、エピローグを迎えます。ちょっとだけ、トラブルが発生した、水色のコットン・ドレープで飾られた映写室。サウンドトラックには雑音が混ざり、映像が不意に乱れました。だからといってそのことで、ストーリーが途切れることなどありえません。フェイドアウトで消えてゆく、囁きのようなウクレレ、完璧な音色。「ジ・エンド」の文字などいらないラストシーン。…フラ・レッスンからの帰り道のハイウェイで、クルマの窓を横切った、あのパープリッシュなブーゲンビリアが、金の日差しと混ざって滲む。水分を多く含んだウォーターカラーのように。その色たちはスクリーンを最早(もはや)はみ出し、この世界の隅々までもを染めてゆく。うすむらさきいろと金色の、常夏に舞う、しあわせ満ちる吹雪のように。



★この連載は、毎月新月と満月の日に更新します。


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