しあわせなからだ ♯8 / Noriko Genda

こころはむずかしい


今日は、こころのおはなし。


「人間は考える葦である」と言ったのはフランスの哲学者パスカル。

このフレーズだけフォーカスされることが多いですが、この言葉にはもう少し深い意味合いがあります。


少し長い文章にすると

「人間は人茎の葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である--。

宇宙が彼を押しつぶしても、人間は、彼を殺すものよりも尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことも、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は、何も知らない。だから、我々の尊厳のすべては、考えることの中にある。」

となります。


人は、弱い。けれど、考えることが出来る。

という両面性について語っているのだそうです。


わたしの仕事は、からだに触れ、その情報を紐解くことです。

整体師としての役目に悩んだ時、「こころ」にとても興味がわき、心理についての本を読み、ヒプノセラピーも学びました。

(ヒプノセラピーとは、簡単に説明をすると催眠状態へ導き行う心理療法のひとつ。クライアントの潜在意識に働きかけて、心の問題の改善や人生の変容を促すセラピーです)


いろいろと学ぶことでわかったこと。

それは、

わたし自身は、言葉を使うよりも、(クライアントのからだへ)触れる方が、素直な情報を受け取れるということ。手から情報を得る、”体感覚派” なのだということです。



7年前に、インドのメディテーションセンターに2週間ほど入っていたことがあります。

少しのメディテーション(瞑想)への興味と、宿泊も食事もフリーになるという情報に乗って、飛び込んでみました。


そもそも、その時点でまったくの興味本位です。信心もあったものではありません。

現地では、海外からのゲストのために用意されたドミトリーの部屋に泊まっていました。

到着して、最初の食事から大好きなチャイが大きなタンクでドーンと出てきて、飲み放題!

ご飯もおかわり自由で美味しい(もちろんインド料理オンリーですよ)。

もう大興奮です。

でも、この後、3日間ほど飲めない牛乳の過剰摂取による腹下しで大変なことになりました。

(持参したジャーに入れて、毎日おそらく1リットルくらいは飲んでいたはず。さすがにここで具体的に書くのは控えますが・・・)



話が脱線しましたね。


さて。

ここでの暮らしは、わりと自由で、瞑想への参加も本人の意志に任されていました。

そして、これも自由参加でしたが、みんなで「こころ」について話し合う時間もありました。

図書室のような場所で、メディテーションセンターのマスターの出版物を読んだり……。


ところが、滞在して間もなく疑問と違和感がわいてきました。

それは、すべてがこのゲストハウスに滞在している海外からの滞在者(わたしを除いては100パーセント白人でした)でおこなわれるということ。

せっかくインドに来たのだから、わたしはインドの人の思想や暮らしのそばにいたい、と思ったのです。



そんな日々で、

なによりも楽しかったのは、近くのホールで毎日行われる師のお説教のために地方から集まる人にふるまうための食事を作るお手伝い(セーバーと言います)をすることでした。

食事を作る場所までの行き帰り、観光ではない、ふつうの生活の中を歩くこと。

毎日毎日、おばあちゃんたちにまじってチャパティを作り、一緒に働きました。

そこでのインド(ニューデリー)のおばあちゃんたちの協調性のなさが面白すぎて、ほんとうに楽しかった!

ヒンドゥー語なので、どんな会話をしているのかはまったく分からなかったけど、勝手に歌う人、なんでなのかずっと泣いている人、怒っている人、喜怒哀楽すべての感情がその場所に渦巻いているわけです。


ある日、その中のひとりのおばあちゃんが片言の英語で話しかけてきました。

「あなたは1日にどのくらい瞑想をしている?」

新人で、ましてや興味本位でまったく瞑想もしていないわたしはビビりました。

「まだそんなにできません。30分くらいかな?」

確かそんな答えをしたと思います。

そうしたら、そのおばあちゃんは、にやっと(今でもその顔は忘れません)笑ってこう言いました。

「わたしはやらないわよ」


わたしの中で何かがはじけました。

マスターではなく、ひとりのインドのおばあちゃんに、とっておきの教えをいただいたのです。



ここにも、ふつうの生活があります。

アシュラムの中に住み、お手伝いをしていたとしても、生活は生活なのです。

たくましく、生きるってこういうことよね。

と、笑ってしまいました。

そんな体験があってから

あえて大層に考えなくても、視点を変えたらどこだっていつだって、日常の中で「瞑想」はできると思っています。


わたしの場合は、海で浮いている時間。

車を運転している時間。

例えば、無心でお料理をしている時。

今は、なにもしない時間を作る方が難しいのかもしれません。

電車移動中も、携帯を見ている人がほとんどですもんね。

でも、

顔を上げて、窓の外の流れる景色に目をやってみたり、

外の音に意識を向けてみたり、こころに隙間を作ってあげてください。


隙間をあえて作ること。

たったそれだけで、

考えごとや、悩みごとにも隙間が生まれてくるはずですよ。



★過去の連載はこちら


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