サンダルウッドの丘の家より ♯15 / 山崎美弥子

第六章・三 この日々の行く末に/アウト・オブ・ザ・ブルー 



「ヒツジの親子を迎えにおいで。」


 訪れるのはホオレフア。満七十五歳を祝ったばかりの伝説のパニオロ(ハワイアン・カウボーイ)、クールなカウボーイハットが似合うアンクル・バズィとその妻、アンティ・マーリーンの家族四世代が集うファームへ。向かう途中でラニケハを通過、…そう、そこで開かれたアンクル・バズィのための盛大なバースデー・パーティーの夜の、あの光景が蘇る…。島中の彼らのオハナ(一族)が集まって、手作りで仕上げたデコレーション。色とりどりの電飾をあちこちにぶら下げてちょっとムーディーに。ゲストたちが思い思いにプレート・ディナーを盛り付け終わる頃、ロコのバンドのスロウなナンバーが会場に響く。すると、アンクル・バズィとアンティ・マーリーン夫妻は、にぎやかな食事の席からおもむろに立ち上がり、チークダンスを始めたのです。踊りながら、ふたりがそれは幸せそうに楽しくおしゃべりしていることが、遠いテーブルのわたしたちの目からもその唇の動きでわかる。 なんの気負いもなく、ピッタリとからだを寄り添い、手と手を取り合って、目と目をじっと見つめ合いながら…。そう、歌は島の古いパニオロたちが大好きな、カントリーミュージックのあの名曲「ジャスト・ルック・アット・アス」。 


 長い間連れ添ってきた。

 どんなことだって乗り越えてきた。

 本物の愛を見たいなら、俺たちを見るがいい。


 …気恥ずかしくなるほどキザな、往年のヒットナンバーにあわせて、当然のように踊るふたり。でも、見れば見るほどその姿は、恥ずかしいどころか、おそらく「人」という存在が、この星の上で、生きつくせる限りの「本物の愛」というものが、それはありありと表現されているとしか思えないのです。まるで、天地創造の瞬間みたいに。てんで信じられないジョークみたいに。それはそれは、感動的に…。


 そんな物想いに耽っていると、程なくファームに到着。わたしたちのオンボロなメルセデスのステーション・ワゴンへヒツジの親子を乗せたなら、ぼんやりしてはいられない。それは慎重に運転しなければなりません。彼女たちを決して怖がらせることのなどないように。なぜって、とうの昔にショック・アブソーバーの壊れた、それはオールド・スクールな一台だから。 島のレストランがご馳走を揚げた後の廃油を燃料として走らせている。だからその分エンジンに負担がかかり、時々調子も外れる。


 「おまえたちのマフラーからのフレンチ・フライの香ばしい匂いがいつも腹をすかさせるよ。」


 私たちが走ったそのあとは、そう、島中の人たちにからかわれます。それは、やさしい雲のアッシュ色の層に、空がすっぱりと隠された午後でした。無事に二匹のトランスポーテーションを終えたなら、ヒツジの親子は、もうすぐ子ヤギを生む、白ヤギのユキといっしょの柵に放たれます。わたしたちのオハナ(家族)の一員になるのです。予感的中、降り出したホオレフアの霧雨の中、大地にそって完璧な半円を描くように広がったアヌエヌエ(虹)。その七色のトンネルをくぐりぬけ、カメハメハ・ハイウェイへ。カラマウラとカウナカカイ、カパアケアを通りすぎ、終着点のカミロロアまで。


 こうして、サンダルウッドの丘のわたしたちの家に、ママといっしょにやって来た、生まれてたった十四日目のヒツジの子。その子ヒツジは翼こそ無い天使のようでした。まぎれなく。 吹きぬけることなくとどまった、ネストのようにやわらかい風に、やさしくそうっと包まれた…。


 「スペコウ(斑点)!」


 きらかいは彼女を一目見た瞬間から、そう呼び始めました。オブシディアンの宝の玉のようにつぶらな瞳。まるで世界一大切なものを扱うかのように、きらかいは自分の両手で小さな子ヒツジを抱きあげました。カールしたふわふわの白い毛が、短くまるい爪の並んだ少女の指と指のあいだからこぼれています。きらかいのほっぺたは、嬉しさにまっかっかに染まってる。横には喜びのあまり奇声をあげる小さなたまらかい。そしてヒツジのママには、ホクという名をつけました。オレロ・ハワイ(ハワイ語)で「星」という意味を持つホク。そしてホクは日本語では「北」。白ヤギのユキ「雪」といっしょに暮らすにはパーフェクトな名前だと満場一致で決まりました。


 ところがです。子ヒツジのスペコウがホクといっしょにやって来たその晩のこと、十二月の雨はサンダルウッドの丘に、しとしとと降り続けました。 そうしてその翌朝のこと、小さなスペコウのからだは固く冷たくなっていたのです。そうです。…もう、息は途絶えていました。受け止めきれない悲しみに、胸が押しつぶされるようでした。わたしは雨に濡れた草上におのれの身体をとっ伏して、こどものように大声で泣きました。あんなにもかわいらしく、初めて出会ったその瞬間から、大切でかけがえ無いと感じさせてくれたもの、わたしたちの目の前で夢のように光っていた白いつまさきが、もう二度とは動かない…。きらかいとたまらかいも、悲しみの谷に落とされた迷子のように、ただただとめどもなく泣きじゃくりました。レビーは何も言わずに、わたしたちが種から植えて実をつけるまで育てあげた、アボカドの木のもとに穴を掘り、冷たい彼女のその小さなからだに、ゆっくりと土をかけました。子ヒツジのスペコウは、わたしたちのプウヴァイ(心)の真ん中に、すっぽりとおさまって、それなのに、たった一晩で姿を消した。世紀が新しくなってから十二回目のウインター・ホリデーの直前に。まるでそれは、儚い流れ星のように。


 …気を確かに、電話をしなくては。 いのちを落とした子ヒツジを、わたしたちに贈ってくれたアンクル・バズィの妻、アンティ・マーリーンに、このことを知らせなくては。動揺を隠せないわたしの気配が、受話器の向こうの彼女にも届いていたのでしょう。電話の向こうの声はそれはゆったりと、でも、しっかりとした口調で、こう、わたしに言い聞かせました。


 「生き物が死ぬことはあるの。死んでしまう理由はたくさんある。それが自然というもの。でも、大丈夫なのよ。(イッツ・オーケー。)」

 アンティ・マーリーンの母親は純血のハワイアンで、この島で六人のこどもを産み育てたという…。五人姉妹に弟がたったひとり。マーリーンは上から二番目の姉さんでした。母親はいつでも、道端からでもどこからでも、助けが必要な人を見つけては連れ帰り、何年でも家に住まわせるようなひとだったのだと。 決して裕福な家庭であったわけもなく、だから、姉妹たち皆、幼いころからいつでも、困った人や、身体の具合の思わしくない人や、年老いた人たちを世話することをしながら育ったのだと。そうすることがごく当たり前の日常で、そしてその人たちをみんなこころから愛していたと、アンティ・マーリーンはわたしに語ったことがありました。五人の姉妹と一人の息子の母親は、助けを必要としていたそのひとたちが、行きたいところや、自分の肉親を見つけた時には、自分の懐を痛めてまでモクレレ(飛行機)のチケットを手に入れて、モロカイ島の小さな空港から、新しき日々へと送り出してさえしてやったのだと。つらがるひとりの老人の背中を、まだ小さな少女だったアンティ・マーリーンが、いっしょうけんめいさすったこと。そして、その姿を見守る母親が、いつもうしろから褒めてくれた言葉。


 「それでいいんだよ。いい子だ、いい子だ。(グッド・ガール、グッド・ガール。)」


 少女だったマーリーンが、その老人が息を引き取るまで世話をしたこと。涙が止まらなかった彼の最期…。 アンティ・マーリーンのそんな遠い思い出話 。 目からぽろぽろと落ちて来るダイヤモンドを、 自分の笑顔の持つ力で懸命にせき止めようとしながら、わたしに話し聞かせたくれたアンティ・マーリーン。そのアンティが今、わたしに言うのです。


 「大丈夫なのよ。(イッツ・オーケー。)」


 …そう、その言葉は別の誰かからも聞いたことがある…。同じマナ(エネルギー)を宿したその言葉の響き。…記憶を遡ってみる。確かあれは月が欠け始める頃…。


 きらかいが海辺から連れ帰り、かわいがっていた小さな迷い猫のキアヴェ。海辺の、鋭く美しい棘のあるキアヴェの林から現れた子。でもそのキアヴェが、やっぱりきらかいが大好きで、赤ん坊のころからいっしょだった、猟犬の血をひく愛犬トモに、不慮の外に命を奪われてしまった時。ひとりぼっちの悲劇の目撃者となってしまった幼いきらかいのこころが、どれほどに深く傷ついてしまったかと…そう、凍るほどに震えあがるわたしに、そうです、島でフラを教えるアンティ・レイラニが、やっぱりこう、言ったのです。


 「大丈夫よ。(イッツ・オーケー。)」


フラ・レッスンを終え、用事があると言って足早に去ろうとしていたその歩みをとめて。


 「こどもは大丈夫。」


アンティ・レイラニは続けました。


 「それより心配なのはあなたのほう。 こどもたちは強い。大人のあなたのほうが心配よ。さぁ、ちょっとここに座りなさい。」


からだの震えを止めることができずに、それでもわたしはこたえました。


 「でも、アンティは用事があったはずでしょう?」


 「そんなことはもういいのよ。」


 それは、ほんとうに、かるうく、やさしい口調で。そうして、そこへゆっくりと腰をかけ、わたしをそばへ一緒に座らせて、たくさんのことを話し聞かせてくれました。気がつくと時計の針は、一回りもしています。その言葉たちは、理屈など無くただ、わたしを大丈夫(オーケー)にさせました。そしてきらかいはといえば、泣いて泣いていたはずの、それなのに気がつくと、もうとっくにおもてへと飛び出して、同じように大声で泣いていたはずのたまらかいといっしょに、はしゃぎかけまわっていました。 島の午後の太陽の、輝き透きとおったゴールドの光をシャワーのように浴びながら。遠く、そして青い青い草のサーフの上を無邪気な子犬たちのようにふたり。


 ノー・レイン・ノー・レインボー。(雨が降らなきゃ虹も出ない。)


 ふと、わたしの頭に浮かびあがった島のことわざ。そんなことわざを刺繍した、のんきなベースボール・ハットが、南国の土産物を集めた店の陳列台に、あっけらかんと並べられているのを見かけたのは、いつのこと…だったかしら…?


 …フェイドアウトするアンティ・マリーンの落ち着き払った声。受話器の向こうがわへやさしく。


 見上げると、目が覚めるようなコバルトブルーの空からは天気雨。今日もまた、アヌエヌエ(虹)の七色の光が、 完璧な半円を描いて天と地とを結いました。言い知れぬ、島の頭上で。





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