サンダルウッドの丘の家より ♯17 / 山崎美弥子

第七章  前編  時をこえたところ/ポノ


「ほらママきこえた!?」

「…え?」

いつも小さなメネフネたちがわたしたちの窓ガラスをノックする音を聞き逃さないきらかい。

一緒に静かに耳をすますと…確かに聞こえるのです。

「コン…!」

島の精霊が、小さなにぎりこぶしで窓をたたいている音が、本当に。



 海と空の彼方を見つめて来た、わたしのカンバスの中に、時に、花や葉や、土が現れるようになったのは、わたしが母となってからのことでした。そしてそれからのわたしは、それらを通じて、かたち無き「光そのもの」をあらわそうとし始めました。ある時、不思議なことが起きました。 島のある日のことです。サンダルウッドの丘の家の、その壁に掛けられた自分が描いた一枚の絵。その絵の中の花が、わたしに語りかけて来たのです。花畑が描かれたカンバスの中から。白をたくさん混ぜてマットに薄まったブリリアント・ピンクの、咲き溢れる花畑の絵。その中のたった一輪が、独自の、それはまるで生きた人のような存在感を持って、わたしに向かって来たのです。わたしが描いた絵。でも、この一輪の花の主張を、わたしが意図した記憶はありません。

 それは、わたしがからだの中にいのちを宿していた時に描いた花たち。…絵筆は、どんな言伝(ことづて)をたくしていたのでしょうか。未来のわたし自身に。



 天使のようだった子ヒツジのスペコウが、本当の天使になってしまったあとの島の日々の中で。 スペコウによく似た柄模様 の翼を持ったメンドリのマシュマロだけ、彼女だけが、ちゃんと忘れずにタマゴをあたため続けるメンドリでした。ベージュの濃淡をしたタマゴを七つ、彼女のふっかふかにふくらんだ翼の下に並べているのです。夜になるとほかのメンドリたちは、揃ってオンドリのハンサムといっしょに、マレコ(マンゴ)の枝を止まり木にして眠りますが、マシュマロだけは、タマゴを産み落とした巣箱から決して離れようとはしませんでした。ほかとは違うスペコウの翼を持っていたせいなのか、マシュマロは、ほかのメンドリたちにいつも突かれ、いじめられていました。だから、いつでも心もとなそうにも見え、タマゴを抱いていることが彼女にとっての安らぎのようでもありました。花火の閃光が夜空を飾り、島の少年たちがいたずらに爆竹に興じるあきれたホリデーのあいださえ、マシュマロは巣箱を守り、決して怠けることはありませんでした。

 それから幾週間かが通り過ぎた、眩しいレモンイエローの朝のこと。小さなヒナ鳥が忽然と!マシュマロの足元にまとわりついて、愛くるしく鳴いている姿をわたしは見つけたのです…!


…ちよちよ、ちよちよ…


 それはまさに奇跡のように。そうです。七つあったタマゴは六つに減っています。そして驚いたことに、さらにひとつのタマゴに裂け目ができて、ちっぽけなくちばしが突如とのぞき、小さな一羽のヒナ鳥がその殻を破ってわたしの目前で生まれ出たのです。あたらしい「いのち」の誕生の瞬間。そこに居合わせたのはただのひとり、わたしだけ。母となったメンドリのマシュマロは、まるで、聳える小さな神殿のように、自信に満ち満ちて見えました。そうしてわたしのからだじゅうが、たとえようもない幸福感で一杯に。


「見た?」


 島の風の透過色だけがそう耳打ちし、わたしをからかうように「この時」を追い越してゆきます。それは光。 バックグラウンドに横たわる白群。わたしをとりかこむ三百六十度がワールド・ヒストリーに残されるほどの、ささやかであたりまえの、そんないつもと変わらない、モロカイ島の、とある朝の、小さな小さな出来事でした。


 島の、永遠に連なる「つかのま」を、たくさんの小さな音たちは、みんなで集まっては豊かに飾り立てます。 時に高らかに。時にすぐそばに。あるいは、遠くから聞こえる色鮮やかな音たち。

 …ただ、在ること。なにごとにも縛られない。縛るものなどない。アクア(神)の世界。わたしが、すべてであるということを信じられる。…からだに、「ひだまり」がそそぎこまれてゆきます。ヒダマリ、日だまり、火だまり…。オレンジ色にひかる、燃え尽きぬ、ささやかな、と・も・し・び。あるいは無限大の雫たちが、崖から滝となって掛け落ちるように。それは、まさしくひとつのいのちとして深呼吸をしているかのような。 それは滝となって谷底へと到達し、川となって溢れ出し。尽きることなど無く、こんこんといきものとして海へと流れ出る。巨大な群れとなった雫たちは、今や、波となって大海へとうねり出します。すべての色を映しだす青となって。いのちのみなもと。


…こんこんこんこんこんこんこんこん…。


 それは光。目も眩むゴールド色。そして、それはとてもやさしい。あたたかい涙のように…。からだの奥に染みこみ、たましいはその喜びに、小刻みにふるえてる。今、すべての時空を超越して、神(火水/かみ)である記憶をよみがえらせて。


振り返る海と空。そう、それは、ポノ。


 とある島の朝、フラを踊っている時に、ようやくようやく、わたしの中心に降りて来ました。ようやくようやく。ようやくようやく。ゆっくりと踊ること、だけではない…それは、確かにスローモーションのようなのに、でも決してゆっくりなだけではない。「ゆっくりと踊る」という意識があるなら、それはスピードの次元からの発想であったことへの深い気づき。速度を超越した時空。それは、まるで、誰かから十分に愛された経験の、満ち満たされた感覚。そのしっかりと地に根を生やしたような「ゆたかさ」が、わたしの中に遂に降りて来たのです。それが、わたしが長い間ずっと、知りたいことだったのです。そうなのです。この感覚を、ポノと呼ぶのかもしれません。今、感じているこの温度が、そうです。マナというものなのかもしれません。


 今朝も、わたしたちの窓をノックする島の妖精。きっと今、ウインクしてる。 ふと視線をなげると、窓枠の向こうにはまた、青が広がっていました。いつでもそこで、かならず静かに待っていてくれる果てしない青が。



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